中国とインドの広大な国土に挟まれたネパールの政治史は、まるで一つの長い叙事詩のようだ。歴史を振り返ると、激しい動乱や反乱、そして儚い希望の瞬間が幾度も繰り返されてきた。例えば、1951年以前、ネパールはラナ家のような世襲君主の支配下にあり、その権力は絶対的だった。彼らは意見の違いを抑えつけ、社会の進歩を遅らせることもしばしばだった。続いて、革命の波が押し寄せ、王制の崩壊とともに新たな希望の光が差し込んだかに見えたが、その道のりは決して平坦ではなかった。1961年の王マヘンドラによる「パンチャヤト」制度の導入は、多くの人にとって大きな後退を意味した。権威主義的な体制が強化され、市民の不満と社会の亀裂は深まり続けたのだ。やがて、1990年に入ると、多くの抗議運動が巻き起こり、長年の不満が爆発した。その結果、君主は議会を復活させる妥協点を模索したが、その勝利も長続きしなかった。むしろ、内部の対立や、特に激しいマオイスト反乱が内戦へとエスカレートし、多くの命が奪われる悲劇をもたらした。これらの歴史的なパターン、つまり野心的な改革とその失敗の繰り返しは、弱い指導力や内部分裂、拙速な政策が国家の安定と民主主義を妨げてきた証だと言える。
さらに、ネパールのガバナンスのもう一つの特徴は、新しい法律や憲法改正が絶えず増え続けていることだ。危機や抗議行動のたびに、政府は焦って数々の法律を次々に制定する。それは、まるで絡みつく赤いテープの森のように複雑さを増し、混乱を深めている。2008年に君主制がほぼ廃止された後も、憲法は何度も急ぎ足で改定されたが、それらは政治的な都合に振り回され、曖昧さや一貫性のなさに欠ける。例えば、2015年の憲法は、激しい政治交渉の末に策定されたものの、多くの未解決の問題を残し、国内は混乱と不信に包まれた。こうした法の乱立は、官僚制度の麻痺を引き起こし、進展を阻んでいるだけでなく、腐敗がはびこる温床となっている。まるで、沈みかけた船にダクトテープを貼るように、一時的な応急処置は役立つかもしれないが、根本的な解決にはならず、むしろ問題を深刻化させている。結果として、決定力に欠けた官僚たちが停滞し、腐敗が蔓延する悪循環が継続しているのだ。
現在のネパールは、まさに「揺れる海域」のような状態だ。連日の抗議運動や政権崩壊の事態は、その不安定さをひしひしと物語っている。たとえば、昨年のK.P.シャルマ・Oli首相の辞任も、その象徴的な例だ。まるで絶え間ない嵐に翻弄される小舟のように、抗議の波や政権交代が重なるたびに、国家の舵取りは揺れ動いている。Oli氏は何度も選挙に勝利してきたが、そのたびに持続可能な合意形成は遠のき、政治は混乱の渦中に巻き込まれた。そしてこの連鎖、つまり絶え間ない動乱は、一時的な問題ではなく、制度そのものに根ざす深刻な根っこにある課題だ。これにより、国民の信頼は揺らぎ、投資は遠のき、重要な改革は後回しにされがちだ。真の変革をもたらすには、強靭でビジョナリーなリーダーシップがどうしても必要だ。さもなければ、ネパールはこの泥沼の中に閉じ込められたまま、未来を見据えることができないだろう。結局のところ、未来への道は、決断力と大胆な改革によって開かれる。それだけが、長きにわたる不安のサイクルを断ち切り、安定と繁栄をもたらし、平和な日々を築く唯一の道だと言える。
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